────時空と宇宙の謎を解明する。
東京大学 素粒子物理国際研究センター

山下研究室

超冷中性子の電気双極子モーメント測定に向けた研究

T対称性とは,時間反転に対して物理法則が変化しないという物理学における基本的な対称性の一つです.素粒子物理学の世界では厳密にはT対称性が成り立たないことは,1964年CP対称性の発見以来良く知られていますが,T対称性の破れの直接観測はいまだ行われていません.標準理論には僅かにT対称性を破る効果があり,標準理論から予言される中性子のEDMは10-30 [e cm]以下程度だと考えられています.これは,現在の測定可能感度の限界である10-25 [e cm]の遥か下にあります.しかし,もし超対称性理論などの標準理論を超える物理が存在する場合には,中性子のEDMは10-26 〜 10-28 [e cm]の範囲にあると予想されています.したがって,実験の感度を2桁程度向上することができれば,素粒子の標準理論を超える物理の存在/非存在を示唆する,有力な実験事実を提示することができるのです.

中性子のEDMの測定は超冷中性子という,数十neV(ナノ電子ボルト)程度のきわめて運動エネルギーの小さい中性子を用いて行います.このような超冷中性子をニッケルなどの管の中に置くと,ニッケルの持つフェルミポテンシャルが100 neV 程度なので,超冷中性子の波動関数は,ニッケルの表面で全反射します.この性質を利用して,ニッケル管を使用することによって,電荷を持たない中性子をその発生源から実験装置へと導入(ガイド)することが可能になります.

このようにガイドされた超冷中性子のスピンを偏極し,さらに磁場と電場を平行に揃えた外場のあるボトルの中に導入すると,スピンを持つ中性子はラーマー歳差運動(スピン歳差運動)と呼ばれる位相の回転を始めます.このとき,中性子にゼロでないEDMが存在すると,電場と磁場を平行にしたときと,反平行にしたときで歳差運動の振動数に極めて小さいながらも有限の差が生じます.この微小な差を,ラムゼー共鳴法と呼ばれる特殊な干渉現象を利用することによって観測するのが超冷中性子のEDM測定実験です.

現在までのところ,中性子のEDM測定感度の上限を決めているのは超冷中性子の密度です.中性子は電荷を持たないので,加速器のように粒子群を収束して密度を高めることはできません.このため,超冷中性子の発生源における初期の中性子密度をどれだけ高められるかが,この実験の成否を決めることになります.山下研究室では,次世代の超冷中性子源の建設に向けた研究開発を行っています.