────時空と宇宙の謎を解明する。
東京大学 素粒子物理国際研究センター

山下研究室

ILCの物理および測定器の研究

ILCとは?

CERN研究所で行われているLHC実験での新しい物理・新現象の発見の機運が高まる中、次世代のフロンティア加速器実験の計画が進められています。その有力な候補となるのが山下研究室が参画する国際リニアコライダー(ILC)計画で、2010年代後半から2020年代前半の運転開始を目指してアジア・欧州・米国の各国と共に共同開発研究を進めています。日本も有力な建設候補地に挙がっており、北上山地(岩手)と背振山地(福岡・佐賀)などで地元の大学・産業界が中心となり詳細な検証作業が進んでいます。欧州CERN・米国Fermilabも建設候補地に挙がっています。2012年末までに加速器の技術設計報告書(TDR)と測定器の詳細ベースライン報告書(DBD)の準備に向けて、現在研究開発・検証作業を続けており、ILC計画の根幹部分の子細を決める重要なフェーズにきています。山下研究室では主に測定器の設計・最適化においてリーダーシップを発揮しています。

ILCの利点・ILCのチャレンジ

ILD Event Display

図1: ILD検出器シミュレーションのイベントディスプレイ。色々な粒子が1個単位で再構成できる様がみてとれる。(クリックして拡大)

ILCは電子ビームと陽電子ビームを一直線に加速し、衝突させます。陽電子は電子の反物質であり、共に素粒子であるため、対消滅を起こし、全エネルギーが物理事象に変換されるため、非常にクリーンな事象が観測できます。また衝突エネルギーを自在に操ることができるため、物理過程の生成断面積を子細に測定することができます。これに対し、LHC実験では陽子ビーム同士を衝突させるのですが、実際には陽子の中のクォークとグルーオン同士が反応するので、粒子衝突の初期エネルギーに大きな不定性があり、また衝突に直接関与しない陽子の破片も、量子色力学(QCD)に則り、ハドロン破砕によりたくさんの粒子をまき散らすため、莫大な背景事象に埋もれた信号事象を拾い出すための大変な解析作業を行う必要があります。

LHCは円形加速器の中で陽子ビームを何周も回すことにより、徐々に加速させることができます。しかし電子ビームを円形軌道に乗せた場合、電子が陽子よりも2000倍軽いため、シンクロトロン輻射によるビームエネルギーの消失分が膨大になることによる加速の限界に陽子ビームの場合よりも早く達してしまいます。この限界を超えて加速するために、線形軌道で加速するというのがILCの考え方なのですが、一発の加速で目標エネルギーに到達するためには非常に強力な加速勾配を持つ超伝導加速空洞の開発が必要です。また実際の実験ではこの加速空洞を大量生産してつなげる必要があるため、現在世界各国で製造技術の研究開発が進められています。

ILCで行う精密測定や新物理の検証作業のためには、かつてない精度での粒子の飛跡検出、エネルギー測定をする必要があります。高エネルギーの衝突事象では生成される粒子の数が非常に多いですが、ILCの利点を余すことなく物理解析につなげるためには粒子1個単位での運動量とエネルギーの同定が不可欠になります。そのための各測定器システムの研究開発、およびそれらを統合するソフトウェアの開発が行われています。

ILC実験の測定器

ILD Detector

図2: ILD検出器の全体図。中央部から、衝突点検出器(ピンク)、飛跡検出器(黄)、電磁カロリメータ(青)、ハドロンカロリメータ(緑)、超伝導磁石(薄紫)、ミューオン検出器(グレー)が見える。

ILCでは現在ILD, SiDという二つの測定器計画があり、それぞれ最適な測定器を目指してしのぎを削っています。山下研究室は、ILD測定器の開発に参加しています。

高エネルギー実験の測定器は、様々な反応粒子を効率的に検出するため、一般に多種類の検出器が反応点を中心に入れ子構造になっており、まさに現在の技術を結集した総合的な検出器と言えます。ILD測定器も、反応点近傍の荷電粒子の動きを正確に求める衝突点検出器、荷電粒子の運動量を精密に測定するための飛跡検出器および大型超伝導電磁石、光子および中性ハドロンのエネルギーと位置を正確に求めるカロリメータ、ミュー粒子検出のためのミューオン検出器、ビーム方向に発生した粒子を検出する前方飛跡検出器・カロリメータ等の測定器で構成されています。このような大型測定器では、個々の測定器の要素技術の開発・確立とともに、その組み合わせの最適化・全体設計が非常に重要となります。この全体設計のために、ILCでターゲットとなる物理現象のシミュレーションを行い、各測定器での物理現象の測定性能を評価し、測定器の最適化を行っています。現在は、2つの測定器計画それぞれで同じ物理過程のシミュレーションを行い、性能を評価・比較するという作業がすすめられており、当研究室でもILD測定器を用いて物理過程のシミュレーション解析を行っています。

ILD測定器における物理過程シミュレーション研究

ILD Detector

図3: チャージーノ対生成事象におけるWボゾンのエネルギー分布。この分布と左右端の位置からチャージーノ・ニュートラリーノ(χ01)の質量を求めることができる。左右端の位置はフィッティングで求めている。

ILD Detector

図4: タウ粒子の崩壊に伴い放出されるπ0粒子の質量分布。ILD測定器のパラメータを変化させた4種類の測定器でその性能の違いがよく現れている。GLD, GLD’,J4LDCはそれぞれ1cm角の電磁カロリメータを持ち、この順に大きい。LDC’は0.5cm角のカロリメータを持ち、この図からは、大きい測定器・またカロリメータの大きさが細かい測定器ほどπ0粒子の識別に有利であることがわかる。

現在性能評価に用いられている物理過程は、ヒッグス粒子の測定・超対称性粒子の探索・測定・タウ粒子およびトップクォークの精密測定です。このうち、当研究室では超対称性粒子およびタウ粒子の解析を担当しています。超対称性理論は、現在知られている標準理論の拡張としてもっとも有望視されている理論で、その証拠となる超対称性粒子の兆候がLHCで発見されれば、ILCで精密測定を行い各粒子の質量やスピン等の特性、また超対称性の理論パラメータを測定することができます。今回の性能評価では、超対称性粒子の一つニュートラリーノ(χ02)とチャージーノ(χ±1)の質量が近く区別が難しいパラメータ領域において、ニュートラリーノ/チャージーノの崩壊粒子(Z/Wボゾン)の質量をZ/Wボゾンから発生する2ジェットの運動量および方向を正確に測定することで求め、それを用いてZ/Wの分離、ニュートラリーノとチャージーノの分離を行っています。また、それぞれの粒子の質量を精密に測定します。これらはILD測定器の大きな特徴である高精細・高エネルギー分解能のカロリメータの性能に大きく依存しており、当研究室およびドイツのDESY研究所の共同解析によりこの分離がILD測定器で精度よく行われ、また超対称性粒子の質量が精密に測定できることがわかりました。

タウ粒子に関しては、電子・陽電子対衝突によるタウ対生成の断面積・角度分布を精密に調べるとともに、発生したタウ粒子の偏光を測定することで、標準理論の予測からのずれを検証し、標準理論を越える粒子(Z’粒子等)の有無を調べることができます。偏光の測定のためには、タウの崩壊様式を特定し、その角度分布を調べる必要がありますが、高エネルギーのタウ粒子においては、崩壊粒子がほとんど同じ方向に放出されるため、その崩壊粒子の分離が困難です。ここでもILD測定器の高い位置分解能が重要な役割を果たします。当研究室の解析により、ILCの当初目標の衝突回数(500 fb-1)のデータ蓄積により、1%以下の偏光度決定が可能なことが示されました。

これらの「課題」性能評価の他に、素粒子理論(現象論)の研究者と協力し、様々提案されている新しい理論の予測をILC(ILD)で検証できるかどうかを調べるシミュレーション研究も並行して行っています。また、ILCでより精度のよい解析を行うために必要となるソフトウェア技術・アルゴリズムの改良も併せて行っており、これらもILC完成の暁にはデータ解析のため広く利用されると期待されます。

まとめ

ILC実験は、現在実現のためのもっとも重要なフェーズを迎えています。既存の測定器・加速器を用いた研究が重要なことは言うまでもありませんが、ILCが実現するか、しないかという瀬戸際に、なくてはならない研究として関われるのがILC研究の醍醐味の一つです。当研究室では、意欲のある若い学生・研究者とともに、ILC実現に向けた研究をすすめていきたいと考えています。

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