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小柴昌俊特別栄誉教授

小柴昌俊氏の画像

長期的な見取り図を描く先見性、強力なリーダーシップ、そしてキーパーソンを見極める洞察力で、素粒子と宇宙のふたつの世界を「ニュートリノ」でつないだ小柴先生。
それは、東京大学の素粒子物理国際研究センター(前身の初代施設長)と宇宙線研究所(神岡でのニュートリノ研究の創始者)のふたつの組織を「小柴物理」で導き、次の世代に卓抜した教育と研究のバトンを渡されたという大きな功績にも同じことが言えます。

ここでは、ノーベル物理学賞を受賞された当時の記録をご紹介します。

10月8日スウェーデン王立科学アカデミーより、小柴昌俊名誉教授(当時)に2002年のノーベル物理学賞を贈るとの連絡を受けました。小柴名誉教授の受賞理由は、「天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出にパイオニア的貢献」です。

2002年10月9日、小泉首相よりお祝いの電話を受ける小柴昌俊名誉教授

小柴昌俊名誉教授は1972年、ドイツ国立電子シンクロトロン研究所(DESY)との共同研究を提案され、日本、ドイツ、英国の3カ国からなる国際共同実験DASP(DORIS加速器)JADE(PETRA加速器)を遂行されました。これらの実験において、新粒子Pcの発見、グルーオンの検出、統一ゲージ理論の検証などで優れた研究を進められました。1974年には現在の素粒子物理国際研究センターの前身である東京大学理学部付属高エネルギー物理学実験施設、1977年には東京大学理学部付属素粒子物理国際協力施設の施設長を歴任され、1982年から1983年にかけてはスイス・ジュネーブ郊外にある欧州合同原子核研究機構(CERN)での国際共同実験OPAL(現在のLHC加速器の前身であるLEP加速器を用いる)の発足に尽力されました。
これらの欧州を拠点とする研究と並行して、1978年には日本国内で陽子崩壊の探索、モノポール探索を遂行するべく大型水チェレンコフ検出器実験を提案し、1983年岐阜県神岡鉱山におけるカミオカンデ実験を開始されました。このカミオカンデ実験において1987年に超新星SN1987Aからのニュートリノを世界で初めて観測し、ニュートリノ天文学という新しい学問分野を切り拓かれました。この成果が、ノーベル賞の主要な受賞理由として評価されています。

略 歴

1926年愛知県豊橋市生まれ。1951年東京大学理学部物理学科卒業、1955年米国・ロチェスター大学大学院修了(Doctor of Philosophy)。1970年東京大学理学部教授、1987年定年退官、東京大学名誉教授となる。その後、1997年まで東海大学理学部教授。カミオカンデに代表される宇宙線実験や、世界最高エネルギーの電子・陽電子衝突型加速器を用いた実験を行ない、常に世界で最先端を素粒子実験の道を歩み続けてきた。その長年の功績により、1985年のドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章受章をはじめ、仁科記念賞、朝日賞、文化功労者、日本学士院賞、藤原賞、文化勲章、Wolf賞、ベンジャミンフランクリンメダル、勲一等旭日大綬章、Erice賞など、数多くの賞を受賞。逝去。