ニュース

ヒッグス粒子とボトムクォークの結合、ついに初観測
物質の質量起源の解明
LHCのATLAS実験などの成果をCERNがプレスリリース

浅井祥仁(東京大学素粒子物理国際研究センター・センター長/大学院理学系研究科物理学専攻・教授)
花垣和則(高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所・教授)
増渕達也(東京大学素粒子物理国際研究センター・助教)
ATLAS日本グループ(注1)

発表のポイント

  • これまで実験的に観測が困難だった「ヒッグス粒子がボトムクォーク対へ崩壊した事象」を5σ(シグマ)以上の確度で観測しました。
  • ヒッグス粒子と、ボトムクォーク(注2)の結合、トップクォーク(注3)の結合、タウ粒子(注4)の結合の3つが確定し、物質を構成する粒子の質量の起源が「ヒッグス粒子」であることが解明され、素粒子研究のマイルストーンと言える結果です。
  • 素粒子研究の大きな謎の一つである「世代(注5)の起源」が、ヒッグス粒子との結合の強さの違いで生じていることの示唆が得られました。
ATLASイベントディスプレイ
(図1)観測されたヒッグス候補事象のイベントディスプレイ。WH生成過程のWがミューオン(赤線)とニュートリノ(点線)に崩壊し、ヒッグス粒子が2つのbジェットに崩壊した(青い三角錐)。再構成したヒッグスの質量は120ギガ電子ボルト。

発表概要

素粒子(注6)の標準理論では、ヒッグス粒子は約60%の確率でボトムクォーク対へと崩壊し、最も生成されやすい信号です。しかし、実験的に観測が非常に困難なためLHC-ATLAS実験(注7)計画当初は観測不可能だと思われていました。
2015年度に従来の倍の衝突エネルギーに増強されたLHC加速器は、予想以上の順調な運転により多くのデータが蓄積されました。また、機械学習技術を応用した新しい研究を行うことで、実験的な困難を克服し、確度5.4σ(シグマ)の有意水準でヒッグス粒子とボトムクォーク対に崩壊している信号の観測(図1・図2)に成功しました。そして、現在の精度で、観測値が標準理論の予想値と一致しているということも明らかにしました。
本成果によって、ヒッグス粒子がボトムクォークと結合する新しい相互作用(湯川結合)が存在することが実験的に初めて確認されたことは、物質を構成する素粒子であるフェルミ粒子の質量起源やヒッグス機構(注8)の全容解明への大きなマイルストーンと言えます。
また、後述の背景で述べる、以前の研究成果を踏まえ、全ての第3世代フェルミ粒子とヒッグス粒子の反応やそれによる質量生成機構が解明されたことになります。図3に示すように、誤差の範囲内で、物質を形成する素粒子や力を伝える素粒子の両方が、同じヒッグス機構によって質量を獲得していることがわかりました。ヒッグス粒子の発見、質量の起源の解明と2つ目の節目を迎えたことになります。
今後は、第2世代フェルミ粒子との結合観測も目指し、素粒子物理学の大きな謎の一つである「素粒子の世代」の解明へむけて研究を進めていきます。また、これまで観測された結合の強さの測定精度を向上させ、標準理論の綻びを探していきます。

発表内容

欧州合同原子核研究機関(CERN)は、平成30年8月28日午前10時半(現地時間)、大型ハドロン衝突型加速器(LHC)で行われた実験の成果をプレス発表しました。日本では、LHCのATLAS測定器で実験を行うATLAS日本グループの主要メンバーである東京大学と高エネルギー加速器研究機構(KEK)が主体となり、同日のCERN発表後に情報発信しました。
CERNのプレスリリースのタイトルは「今まで様々な実験で観測できなかった、ヒッグス粒子がボトムクォークと相互作用(湯川結合)する証拠をATLAS実験などのデータで観測した」です。

背 景
LHCは、陽子同士を衝突させる世界最高エネルギーの円形加速器です。2012年7月4日にヒッグス粒子を発見して以来、衝突エネルギーを13TeV(テラ電子ボルト)に増強し、ヒッグス粒子と素粒子の相互作用の精密測定を行っています。2009年より行われた第1期実験では、ヒッグス粒子の発見や、力を伝える素粒子(W粒子やZ粒子)とヒッグス粒子の結合が測定され、「力を伝える素粒子の質量の起源」が解明しました。
2015年から始まった第2期実験で、ATLAS実験グループは第3世代フェルミ粒子(物質を構成する素粒子)であるトップクォーク、タウ粒子がヒッグス粒子と結合している証拠を観測しています。

研究内容と成果
2017年までのデータを解析し、ヒッグス粒子がボトムクォーク対に崩壊した事象を確度5.4σ(シグマ)の有意水準で初観測しました(図1)。ヒッグス粒子がボトムクォーク対に崩壊する確率は60%と、既に観測されている他の荷電レプトンやW粒子対、Z粒子対、光子対に崩壊する確率よりもはるかに大きいのですが、実験的に観測が難しく(図2の上グラフに示すようにバックグラウンドが多い)、LHCでATLAS・CMS両実験グループが初観測を目指していました。
LHC第2期実験のデータ量と機械学習などの解析技術の改善により、発見感度向上に成功したことで、初観測という成果につながりました。図2の下グラフは、ボトムクォーク対に壊れた親粒子の質量の分布を示しています。観測データから、期待されるバックグラウンドを除去した分布(十字線)は、標準理論のヒッグス粒子から期待される信号(赤のヒスグラム:標準理論で予想される数を1.06倍している)と一致しています。この図が示すように、ヒッグス粒子がボトムクォーク対へ崩壊した現象が高い確度で観測され、その頻度は標準理論の枠内で予想したヒッグス粒子のものと、誤差の範囲内(20%の精度)で一致しています。

ヒッグス質量分布図
(図2)LHC第2期実験のデータで再構成したヒッグスの質量分布。下図では観測データとヒッグス粒子の予想分布と比較している。

本研究の意義、今後への期待
第3世代フェルミ粒子とヒッグス粒子の相互作用が全て観測されたことで、第3世代フェルミ粒子の質量起源の解明に至りました。力を伝える素粒子(W粒子やZ粒子)への結合も既に第1期実験で観測されており、図3に示すように、物質を構成するフェルミ粒子と力を伝える素粒子、ともに同じヒッグス機構で質量を得ていることがわかりました。この図の横軸は素粒子の質量で、縦軸はその素粒子とヒッグス粒子の結合の強さの測定値です。誤差の範囲内で一本の直線にのっていることがわかります。これは、同じヒッグス機構で、これら異なる種類の素粒子が質量を得ていることを示すものです。
今後は、第2世代フェルミ粒子との結合観測も目指していきます。電子の仲間で第2世代であるミュー粒子とヒッグス粒子の結合は、まだ観測されておらず、その上限値は標準理論の予想の2倍程度まで迫ってきました。この値は、電子の仲間で第3世代であるタウ粒子とヒッグス粒子の結合の大きさの1/8より小さく、世代の違いによりヒッグス粒子との結合の強さが大きく違うことが判明しました。言い換えれば、ヒッグス粒子が素粒子の世代を作っていることの示唆が得られました。素粒子物理学最大の謎の一つである“世代”についても迫っていきます。
図3では、測定した結合の強さが一つの直線にのっていますが、まだ誤差が大きいです。標準理論を超える多くの物理モデルでは、ヒッグス粒子とボトムクォークの相互作用が標準理論からズレる可能性を指摘しています。現在の測定精度は20%程度ですが、今後精度を向上させることで、新物理の兆候をとらえる可能性も高く、まさにヒッグス粒子の測定が新物理の扉を開けると言えるでしょう。

ヒッグスとの結合の強さを表す図
(図3)観測されたいろいろな素粒子とヒッグス粒子結合の強さ(縦軸)と、それぞれの素粒子の質量(横軸) 。横軸の単位:ギガ電子ボルト:10億電子ボルト。

発表雑誌

雑誌名:Physics Letters B
論文タイトル:“Observation of H→bb decays and VH production with the ATLAS detector”
著者:The ATLAS Collaboration
アブストラクト:(関連サイト)

CERN発表関連

●CERNのプレスリリース情報:
CERN Press Release, Long-sought decay of Higgs boson observed
CERNプレスリリース, 念願のヒッグスの崩壊を観測(日本語訳)

●ATLAS Collaborationからのコメント:
ATLAS Press Statement, ATLAS observes elusive Higgs boson decay to a pair of bottom quarks
ATLAS実験グループ, 観測困難だったヒッグス粒子がボトムクォークに崩壊する信号の観測(日本語訳)

用語解説

  • 注1)ATLAS日本グループ:東京大学、高エネルギー加速器研究機構、筑波大学、お茶の水女子大学、早稲田大学、東京工業大学、首都大学東京、信州大学、名古屋大学、京都大学、京都教育大学、大阪大学、神戸大学、岡山大学、広島工業大学、九州大学、長崎総合科学大学、以上の17大学、約150人の研究者(大学院生を含む)からなる。
  • 注2)ボトムクォーク:トップクォークと対をなす素粒子で、物質を形作る素粒子の中ではトップクォークについで重い。現在、SuperKEKB加速器のBelleII実験でこの粒子の持つ性質を詳細に調べている。
  • 注3)トップクォーク:現在までに発見されている素粒子の中で最も重く、ヒッグス粒子より重いことが知られている。
  • 注4)タウ粒子:トップクォーク、ボトムクォークと同じ第3世代に属する重い素粒子で、電子と同じ性質を持つ。
  • 注5)素粒子の世代:図4のように、物質を構成する素粒子は、電子、eニュートリノ、アップ型クォーク、ダウン型クォークがセットを構成している。このセットを世代と呼んでおり、実験的に3つ世代があることがわかっている。この3世代目の存在を予言したことで、小林・益川両氏は2008年ノーベル物理学賞を受賞しました。この世代が違う素粒子は、質量以外が同じ性質であり、何故世代があるのか?何故3世代なのか?は素粒子の大きな謎の一つである。
  • 注6)素粒子:分割不可能なこの世を構成する最小単位。物質を構成する最小粒子、力を媒介する粒子、ヒッグス粒子の3つに分類できる。物質粒子には性質の良く似た3世代のパターンが存在する。質量は素粒子によって大きく異なり、例えば電子とトップクォークの質量比は約30万倍である。
  • 注7)ATLAS実験:フランスとスイスの国境にあるCERNのLHCに設置されたATLAS測定器で行われている実験。13-14TeVという高い衝突エネルギーによって新粒子を作り出し、原始宇宙の謎に迫ることを目的としている。本プロジェクトはCERN加盟国による共同事業で、LHCとその測定器の初期投資だけで約5,000億円の費用がかかり、日本はオブザーバー国ながらも、建設費用の一部負担だけでなく、加速器、実験装置の製造、データ解析、研究など様々に協力してきた。特に、日本が協力したATLASは、衝突で生じた新粒子の崩壊をとらえる巨大な測定器で、2012年夏、同じLHCのCMS測定器の結果と合わせ、ヒッグス粒子と見られる信号を見つけたと発表し、世界中で大きなニュースとなった。
  • 注8)ヒッグス機構:もともと質量を持たないとされる素粒子が、ヒッグス場との相互作用によって質量を獲得する仕組みのこと。ヒッグス場は私たちの住む宇宙全体に存在していることがわかっている。これは、真空が無ではないことを意味する。宇宙の誕生直後にヒッグス場の性質が劇的に変わり、その動的な変化によって素粒子に質量が生じている。
素粒子紹介図
(図4)素粒子の紹介図。数字は、素粒子の質量(単位:ギガ電子ボルト:10億電子ボルト)。