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ICEPP×QC 素粒子物理学×量子コンピューティング(QC) 2022.05

本センターは、量子コンピュータの研究と教育に力を入れて取り組み始めた。素粒子物理学に、なぜ量子コンピュータが必要なのか。その背景と本センターでの研究の取り組みを、寺師弘二准教授が紹介する。

なぜ、素粒子物理学に量子コンピュータが必要なのか

素粒子物理学実験では、物理事象の解析にコンピュータの力が欠かせません。さまざまな検出器やエレクトロニクスを駆使して集めた大量のデータを、コンピュータで統計解析して、どのような現象が起きているのかを突き止めます。
たとえばCERN(欧州合同原子核研究機構)のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)では、1秒間に数億回の陽子同士の衝突が起こり、大量の素粒子が生成されます。それらのエネルギーや電荷、飛跡を検出器で計測し、コンピュータで処理して、数兆分の1という稀な頻度で発生する新粒子や新現象を見つけ出す実験です。2022年度に始まるRun3は4年間続く予定です。その後2029年からは、陽子の衝突頻度をさらに高めたHL-LHC(高輝度LHC)が計画されており、得られるデータ量が従来の数十倍にもなります。そうなると、今のコンピュータリソースでは解析が追いつかなくなる「計算爆発」が起こるとされています。そのため、新たなコンピューティングパラダイムが求められており、量子コンピュータはその可能性の一つと考えられています。

量子コンピュータの研究と
教育に取り組みむ寺師弘二准教授

量子コンピュータは、その動作原理上、問題によっては古典コンピュータよりも圧倒的な情報処理能力を持ちます。古典コンピュータが情報を0か1かの「ビット」を単位に処理するのに対し、量子コンピュータでは、0と1の重ね合わせを表現できる「量子ビット」を使って計算します。量子ビットが50個あれば、1,000兆通り近い状態を表現できるとされています。実用的な量子コンピュータの誕生にはまだ時間がかかりますが、将来の計算爆発に備えた準備が今から必要です。
私たちが量子コンピュータに期待する理由としては、素粒子実験との相性の良さも挙げられます。量子コンピュータの「量子」とは、ミクロな実体の波動性を利用したものです。素粒子はまさにミクロの粒子であり、素粒子実験は波の性質を持つ素粒子がいかに生まれ、どのように動くのかを観測するものです。非常に複雑な素粒子の波の振る舞いを、量子コンピュータを使うことで、従来よりも上手く計算できるようになるのではないか。量子コンピュータが素粒子実験と親和性が高い領域は必ずあるはずだと考えて研究をしています。

浅野キャンパスのハードウェア・テストセンターに設置された量子コンピューターのテストベッド

センターが力を入れて取り組む、
量子コンピュータ研究の現状

ICEPP(本センターの略称)が取り組む量子コンピューティングの具体的な研究テーマとして、3つのトピックスが挙げられます。
1つ目は「量子AI(人工知能)のアルゴリズムの研究」です。AIという言葉は多義に使われますが、素粒子実験においては特に「機械学習」を指します。これは大量のデータの中からパターンや法則を自動的に発見する技術です。加速器内で大量の素粒子が生成した際に、シグナル(未知の新粒子生成に関する信号)とバックグラウンド(存在することが分かっている現象)を高い精度で効率よく区別する必要があり、そうした解析に機械学習が用いられます。計算爆発の解決策として量子コンピュータの活用が期待され、量子AI・量子機械学習の研究を行なっています。
2つ目は「量子コンピュータを使った素粒子反応のシミュレーション等の研究」です。加速器の中ではさまざまな素粒子が生成し、それらが別の素粒子に崩壊する過程を繰り返します。素粒子の量子性に基づくこうした素粒子反応の解析やシミュレーションに、量子コンピュータを利用する研究を進めています。ただし、古典コンピュータで行なっている現在のシミュレーション精度に達するためには、量子コンピュータの飛躍的な進歩が必要です。そこでシミュレーションの元となる基本的なプロセスについて、現在の量子コンピュータを使って計算することに取り組んでいます。
1つ目と2つ目のトピックスは量子コンピュータのソフト面に関する研究ですが、3つ目は「量子コンピュータのハードウェアの研究」です。開発したアルゴリズムを量子コンピュータで動かすためには、ハードウェアへの効率の良い実装と制御が欠かせません。専用量子ビットの開発や量子回路の最適な実装方法の研究、0と1と2の重ね合わせを表現できる「量子トリット」の開発など、ハード面からの研究開発も進めています。

量子ハードウェア実習の様子

産学協創と「量子ネイティブ」育成に向けた取り組み

またICEPPは、東京大学が全学で取り組む量子コンピューティング研究や教育活動にも参画しています。2019年12月、東京大学は日本IBMと量子コンピューティング研究のパートナーシップを締結しました。さらに、産学官が連携して量子コンピューティング研究やその社会実装、および次世代の人材育成を進めることを目指す「東京大学量子イニシアティブ構想」を発表しました。
こうした枠組みの中で、ICEPPは2021年7月、IBMとの共同研究を正式に開始しました。具体的には、先ほど挙げたトピックスの1と3の共同研究を進めています。

川崎市に設置されたIBM Quantum System One

また、量子技術とコンピューティング技術の両方に精通し、量子計算技術を使いこなす「量子ネイティブ」なる人材を育成するプログラムを、駒場の教養学部、情報理工学系研究科とともに立ち上げました。2021年度は学部3・4年生を対象に、量子コンピュータの原理を学び、さらにIBMの量子コンピュータを実際に動かす実習講座を開講し、私が授業を担当しました。履修生は当初予定の倍以上にのぼり、学生も量子コンピュータに注目し、強い期待を寄せていることが分かりました。
私たちとしてはもちろん、素粒子物理学に量子コンピュータを応用することを目指して研究をしています。ですが量子AIなどの研究成果は、基礎科学全体を革新的に変える可能性がありますし、実社会への応用も期待できるものです。

若手研究者から量子アルゴリズム(VQE:Variational Quantum Eigensolver)を学ぶ大学院生

近年は、素粒子研究よりも量子コンピューティングに興味があり、ICEPPへの進学を希望する学生も増えています。私はそれも良いことだと考えています。というのは、量子計算技術を進展させるには、この分野の裾野を広げ、成果を着実に生み出すことがとても大事だからです。将来どのような分野に進むにしろ、今の学生が一人前の研究者になるころには、実用的な量子コンピュータが登場している可能性があります。そのとき、ICEPPや東大で量子コンピューティングを学んだ人材が、この分野をリードして行ってほしいと期待しています。

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