研究の概要

 アトラスやMEG実験でのヒッグスや超対称性粒子などの発見を通して、新しい素粒子物理学への突破口を切り開き、実験、理論一丸となって、これを押しひろげ、統一理論やシーソー機構、超弦理論などの超高エネルギーでの物理を探り、21世紀の新しい素粒子物理学の方向性を決める。この為、以下の3つの研究項目を立て特定領域研究を構成する。

研究項目A エネルギーフロンティアLHC実験

 2007年に実験開始予定の世界最高エネルギー陽子・陽子コライダー(LHC)の衝突エネルギーは、右図に示す様に、これまでの実験にくらべて約10倍高い。LHC加速器を用いたアトラス実験は、実験開始後約1年でヒッグス粒子、超対称性粒子、またはその代わりとなるTeV領域の新しい物理現象の確実な発見が可能である。更に、アトラス実験は未踏のエネルギーフロンティアであり、予期しない新粒子や新現象を発見し、全く新しい素粒子物理学を拓く可能性もある。

 左下図は、30fb-1のデータを蓄積した時、ヒッグス粒子が統計的にどれだけ有意に観測されるかをヒッグス粒子の質量の関数として示したものである。114GeV以下の軽い領域はすでに棄却されている。仮に200GeVより重い場合でも、20σ以上の有意な検出が可能である。図が示すように、30fb-1のデータを蓄積した時、8σ以上の有意さで発見能力があり、このことは、初年度分[1]のデータ10fb-1で5σ以上の有意さでの発見が可能であることを示している。

  超対称性粒子は、大きな横方向の運動量をもったジェットと大きな消失エネルギーとして観測される。ジェットの横方向運動量と消失エネルギーの和の分布を右下図に示す。超対称性の信号はバックグランドから綺麗に分離される。積算ルミノシティー10fb-1で2TeVまでのグルイーノ、スカラークォーク[2]の発見が可能である。超対称性粒子があると期待されている領域は十分にカバーしている。

 研究の枠組みは以下の通りである。(1)ヒッグス粒子の発見・研究を通して、質量の起源や真空がもつ構造を探る。(2)超対称性粒子の研究を通して、力の統一やプランクスケールなどの超高エネルギースケールでの物理を研究する。(3)トップ・クォークやゲージ粒子の精密測定を行う。量子重力や多次元空間の効果や、極小ブラックホール生成など、全く新しい物理現象の効果を、これらの精密測定から探ることが可能である。 (4) 現象論的な考察を通して、実験的研究に対して新しい解析方法、探索すべきシグナルの提案をおこない、研究の質を高める。

 LHC加速器は、世界で唯一TeV領域の実験を行うことが可能な設備であり、スイス・ジュネーブ郊外にある欧州素粒子物理学研究所(CERN)において建設が進んでいる。アトラス検出器の組み立ても現地において進められている。本領域申請を行っている研究者は、以下に挙げる3つの研究を主導的に行い、重要な物理成果に本質的な貢献をする。

研究項目B レプトン世代混合で見通す超対称性から超高エネルギーの世界

 ここでは、本領域研究者の主導によってスイスPSI研究所(Paul Scherrer Institut)においてMEG実験を実施し、ミュー粒子の電子とガンマ線への崩壊(μ→eγ崩壊)を、力の大統一やニュートリノ振動から予想される極微の分岐比まで探索、測定する。ミュー粒子の稀崩壊反応μ→eγは、標準理論では起こり得ず、力の大統一やニュートリノ振動現象の起源となる超高エネルギー(1012〜1016GeV)の物理によって、超対称性を通して引き起こされる。特に、ニュートリノ振動現象により発見された、他の素粒子に比べて非常に小さなニュートリノの質量(右図)は、柳田らのシーソー理論によって超高エネルギーの物理に起源があるとされ、超対称性の存在により自然にμ→eγ反応を引き起こす。したがって、この研究で得られる結果をアトラス実験の結果と総合して解析することにより、超対称性の物理のみならず、超高エネルギーに存在する新しい物理について、実験的に迫ることが可能となる。

 μ→eγ崩壊の探索は、最近では米国ロスアラモス研究所において行われたが、偶発的なバックグラウンドによって制限され、10-11の分岐比までの探索にとどまった。これを超える実験を行うためには、良質のミュー粒子ビームを得ることと、これまでにない巧妙で高性能な実験装置を考案して、更にバックグラウンドを抑える必要がある。

 そこで、MEG実験(右図)では、ミュー粒子ビームとしてPSI研究所の世界最強のDCビームを改良して使い、これまで使われてきたパルスビームに比べて大幅に偶発バックグラウンドを抑えることにした。さらに、毎秒108ものミュー粒子が崩壊する中から目的のμ→eγ崩壊を見つけ出すために、特殊な磁場勾配を持ったソレノイド電磁石による陽電子スペクトロメータCOBRAを考案した。一方、実験の鍵となるガンマ線の測定には、エネルギー・位置・時間測定精度の優れた、これまでにない新しいタイプの液体キセノン検出器を提案して、目標である極微の分岐比の達成を目指してきた。

 MEG実験の提案はPSIの研究計画委員会によって1999年に認められ、その後実験の実施に向けて実験装置の開発が進められており、2003年度終わりまでに、(1)大強度(毎秒108以上)で細い(直径およそ2cm)DCミュー粒子ビームを供給できるビームライン、(2)設計どおりの勾配磁場を実現しガンマ線を85%以上透過させる薄いCOBRAスペクトロメータ、(3)実験に必要な高分解能を達成する新しい液体キセノン検出器、の開発が完了する見込みとなった。

  そこで本研究項目では、この国際共同実験を主導し、2004年度より実験実施に向けて測定器の建設と設置を行い、2006年初頭に実験を開始して、μ→eγ崩壊の発見と測定を目指す。また、これをアトラス実験による超対称性粒子の直接探索の結果と合わせて、超対称性の謎に挑み、さらには力の大統一やニュートリノの微小な質量の起源に迫る。

研究項目力の統一と超対称性の理論的研究

 アトラス実験や MEG実験で期待されている成果を踏まえながら、統一理論と超対称性の理論的研究を行う。二つの実験の成果は、21世紀の素粒子物理の方向を決める重要なものであり、この発見が大きな起爆剤となって、統一理論を始めとする超高エネルギーでの物理研究は飛躍的な進歩をとげると思われる。超対称性粒子の発見は、大統一理論から超弦理論とつづく統一理論を強く示唆する。またアトラス実験で余次元の効果が直接観測される可能性もある。標準理論を超える理論を探る立場から、次のような研究を行う。

(1) 重力と超対称性を含む統一理論としての超弦理論の研究。

(2) 標準理論を超える物理を低エネルギーに於ける精密測定から探る可能性の理論的検討。

(3) 時空構造の概念の拡張を必要とする統一理論の構築。

(4) エネルギーフロンティア及び対称性の破れの実験の超対称大統一理論にたいするインパクトの研究。

 超弦理論は自然界のすべての素粒子と力を弦とその相互作用で記述する究極的な理論である。この理論の帰結として、時空構造、ゲージ対称性、素粒子の世代構造、超対称性とその破れなど、素粒子理論の基本的な性質が決まると考えられている。超弦理論の研究の進展により、超対称大統一理論や隠れた次元構造を通じて、実験で検証可能な予言を与えることが期待される。逆にアトラスやMEG実験で超対称粒子の質量スペクトルや世代混合が決まれば、超対称模型の解析から究極的な統一理論への手がかりを得ることが出来る。この様に この研究項目は研究項目 A、Bの研究に 「トップダウン型」の示唆と方向性を与えるとともに、これらの研究の成果から統一的な素粒子描像を描き出すために必要である。


[1]ルミノシティーは1033cm-2s-1とした。これは加速器の設計値の1/10の値であり、実験開始直後の値として妥当と考えられる。

[2]グルーオンとクォークの超対称性粒子


本ページに関する問い合わせ先:東大素粒子センター・坂本 宏sakamoto@icepp.s.u-tokyo.ac.jp

2005年6月17日更新