平成19年度科学研究費補助金

「特定領域研究」に係る研究経過等の報告書(抜粋)

平成19年8月17日提出

1.要旨

 本特定領域研究は、「ヒッグス粒子と超対称性の発見が切り拓く21世紀の素粒子物理」と題して、平成16年度から21年度までの6年間の研究期間で発足したものである。CERNでの次世代最高エネルギー陽子・陽子コライダーLHCを用いたアトラス実験及びPSIでのミュー粒子稀崩壊探索MEG実験を中軸にすえ、これに深く関わる理論研究の精鋭を全国から総結集したものであり、標準理論を超えた超高エネルギーでの物理に総合的に迫る初めての試みである。21 世紀に入り、素粒子の標準理論を超える新粒子や新現象が、最先端加速器実験で発見されるという期待が高まっている。この期待の中心にあるのが、本領域の推進するアトラス実験とMEG実験であり、標準理論を超える新しい素粒子現象を発見すると期待されている。アトラス実験ではヒッグス粒子と超対称性粒子の両方が発見されると期待されている。一方、MEG実験は、超対称性を通じて生ずるμ粒子の稀崩壊μ→eγの探索を行い、荷電レプトンの世代混合の発見を目指す。本領域の目的はこれらの発見と理論的な研究によって、標準理論を超えた素粒子物理学の新しい方向を確立することである。

 ヒッグス粒子の発見は、真空の構造がゲージ対称性の破れと質量の起源であることを実証する。また、超対称性は、ゲージ対称性と並ぶ宇宙の基本原理と見做されており、その発見は重力を含む超統一理論に決定的な方向性を与える。これらの発見は必然的に宇宙物理学にも大きな影響を与えるものである。最近の観測から宇宙のエネルギー組成の96%を暗黒物質や暗黒エネルギーが占めていることが判明したが、これらを素粒子物理学によって解明する端緒を開くと期待されている。

 これまでの本特定領域研究の展開を略記する。アトラス国際協力実験に関しては、μ粒子トリガーチェンバー、シリコン飛跡測定器、ソレノイド磁石などの重要な測定器システムを担当し、これらを着実に完成させてきた。現在実験開始に向けて最終的な調整を行っている。また、ヒッグス粒子や超対称性粒子探索の準備研究も精力的に進め国際的に高い評価を受けている。ヒッグス粒子の新たな探索方法を考案し、従来難しいと考えられていた軽いヒッグス粒子の発見能力を著しく向上させた。バックグラウンドの評価は、超対称性粒子探索の鍵となる。より正しい方法を用いた研究を行い、バックグラウンドが従来の予測の数倍も寄与することを示し、同時にこれを実験的に評価する方法を考案した。これらの先駆的な研究は、国際会議で発表され、適宜論文として発表されている。激しい国際競争下で国際協力実験を主導する為には、出来るだけ多くの研究者が現地CERNに滞在して研究を行なうことが必要不可欠であり、現在20名程度の研究分担者・協力者がCERNに滞在して実験準備を行っている。一方、MEG実験においては、実験の中核として実験のコンセプトの発案から測定器建設まで国際協同実験を牽引してきた。高感度液体キセノン検出器や特定の運動量の陽電子を高い精度で選び出すコブラ磁石など先駆的な検出器を設計・製作し、高い評価や賞を受けきた。本年中に測定器を完成させ、実験を開始する予定である。測定器の建設と調整、物理解析の為、現地スイスのPSIには10名程度の研究分担者・協力者が滞在して実験を主導している。アトラス実験・MEG実験の計画研究は、理論の計画研究と密な連携をとり、それぞれの実験で期待される物理を最大限に引き出すための実験的・理論的な方法を研究・開発してきた。本特定領域研究の実験・理論の研究者は、実験がまだ始まっていないにもかかわらず、様々な国際学会において基調講演を行なってきた。本年末にはMEG実験が開始され、来年にはいよいよLHCが稼動を始めてアトラス実験が始まる。双方から大きな物理の成果に対して、国際的な期待が大いに高まっている。

2.研究領域の概要

 20世紀後半、素粒子物理学に於いて、電弱統一理論と量子色力学を中心として、実験と理論があいまって著しい展開が起こり、クォークとレプトンが物質を構成する基本粒子であり、その間に働く3種類の力はゲージ原理に支配されるという「標準理論」が確立した。この標準理論は引き続き、数多くの実験により高い精度で検証され、著しい成功を収めてきた。21世紀に入り、この標準理論を超える新粒子や新現象が、次世代最先端加速器実験で発見されるという期待が高まっている。将来の素粒子物理の根幹に関わる新粒子や新現象を確実に発見することの出来る実験が、本特定領域研究が推進するアトラス実験とMEG実験である。次世代最高エネルギー陽子衝突型加速器LHC(Large Hadron Collider)を用いたアトラス実験は2008年に開始され、ヒッグス粒子と超対称性粒子を発見することが期待されている。MEG(Mu-E-Gamma)実験は、これに先立ち超対称性を通して生ずるミュー粒子の稀崩壊μ→eγの探索を開始し、荷電レプトンの世代混合の発見を目指す。

 ヒッグス粒子の発見は、宇宙がその初期から相転移を繰り返して現在の宇宙に至ったという宇宙論のシナリオを裏づけると共に、真空の構造がゲージ対称性の破れと質量の起源であることを実証する。また、超対称性は、ゲージ理論と重力理論との統一を目指す超弦理論の試みにおいても最も重要な役割を果たし、ゲージ原理と並ぶ素粒子論の基本原理となる可能性がある。超対称性は破れた形で自然界に存在し、TeV領域に一群の未発見の超対称性粒子が存在すると考えられている。超対称性粒子の発見は、我々の自然に対する理解に決定的な影響を与えるもので、「反粒子の発見」にも匹敵する重要性を持つものである。

 これらの超対称性粒子が存在する場合には、μ→eγ崩壊の分岐比が大きくなり、従来の実験よりも2〜3桁感度の良いMEG実験で発見することが可能になる。μ→eγ崩壊が実測されれば、標準理論を超えてレプトンセクターの物理の構造を解明する重要な手がかりを与えることとなり、超対称性による大統一をアトラス実験とは別の切口で検証可能である。

 アトラスとMEG実験での成果に基づき、本特定領域研究では、超対称性理論、大統一理論、さらに、超弦理論など超高エネルギー領域の理論の展開を図る。これら二つの実験から、超対称性が自然界に於いてどの様に実現されているかの知見が得られ、これは大統一理論や超弦理論などに著しいインパクトをあたえるものである。

 この様に本領域は、標準理論を超える現象を確実に発見し、その本質を研究出来る実験と、これに深く関わる理論研究を総結集したものであり、標準理論を超えて超高エネルギーでの物理の原理に総合的に迫る初めての試みである。

3.研究領域の設定目的

 本特定領域の目的はヒッグス粒子と超対称性の両方を発見し、その性質を詳しく研究することにより、標準理論を超えた新しい素粒子物理学の方向を確立することである。この領域全体の目的のために、各研究項目もそれぞれの目的や当面の目標を設定している。

LHC加速器は、世界で唯一TeV領域の実験を行うことが可能な設備であり、CERNにおいて2008年の稼動を目指して建設が進んでいる。研究項目Aの目的はヒッグス粒子と超対称性粒子の直接発見に本質的な貢献をすることである。このため以下の当面の目標を設定した。

  1. 現地に赴いて、日本がこれまで製作してきたミューオントリガーチェンバーとトリガー電子回路、シリコン検出器などの最終組み立てとコミッショニイングを行う。これを安定して運用し、較正作業を繰り返し行い、質の高いデータを速やかに提供する。
  2. アトラス実験では、非常に大量の実験データが観測され、CERNの計算機だけでは処理出来ない為、最先端のGRID技術を駆使して、各国に分散設置した計算機を用いて解析を行う。これは新しい取り組みであり、この準備を含め、「発見の物理」に貢献できる解析システムを完成させる。
  3. ヒッグス粒子や超対称性粒子などの研究は厳しい国際競争のもとで行われる。検出器の状態に関する情報や、最先端の物理解析に関する情報は、現地CERNに集中する。これらの研究を主導的に行う為に、研究者を現地に派遣し、諸外国の研究者と議論を重ね、研究を推進する体制を構築する。

研究項目BのMEG実験では、標準理論では起こり得ないミュー粒子の電子とガンマ線への崩壊(μ→eγ崩壊)を、力の大統一やニュートリノ振動から予想される極微の分岐比まで探索、測定することが目的である。このためには、毎秒108ものミュー粒子が崩壊する中からμ→eγ崩壊を見つけ出すための、特殊な磁場勾配を持ったソレノイド電磁石による陽電子スペクトロメータCOBRAを完成させ、エネルギー・位置・時間測定精度の優れた新しいタイプの液体キセノン検出器を完成させ、測定器を完成させることが当面の目標である。この研究で得られる結果をアトラス実験の結果と総合して解析することにより、超対称性の物理のみならず、超高エネルギーに存在する新しい物理について、実験的に迫る。

実験項目Cの大きな目的は、アトラス実験や MEG実験で期待されている成果を踏まえながら、統一理論と超対称性の理論的研究を行い、21世紀の素粒子物理の方向を決め、統一理論を始めとする超高エネルギーでの物理に飛躍的な進歩をもたらすことである。当面の目標としては、アトラス実験やMEG実験で検証可能な様々な物理を提示し、可能な統一的な描像を示すことである。

4.研究領域内の研究の年度毎の進展状況及びこれまでの主な研究成果

4.1. 研究項目A「エネルギーフロンティアLHC実験」

LHC加速器の建設が当初計画よりやや遅れ、実験開始が2008年となったが、アトラス検出器の建設は概ね順調に進んできている。日本グループが分担するシリコン飛跡検出器とミューオントリガー検出器は、2004~2005年度に地上での組立てと試験が行われ、2006~2007年度に地下実験ホール内への設置およびそれに続いての検出器コミッショニングが計画通りに進んでいる。データ解析システムに関しては、試験評価用計算機システムを導入し、LHC実験共通の基盤となるLHC Computing Gridのサイトとして、ミドルウェアの導入・運用を2004年以来行ってきた。これらの経験をもとに、2006年度には地域解析センター計算機システムを導入し、同システム上でのアトラス実験データ解析ソフトウェアの開発整備を進めている。

アトラス検出器を用いた物理解析の準備研究に関しては、2004年度より本実験で行う解析方法の検証・研究を行い、2006年度よりこれらをまとめた「Readiness Report」の作成を行っている。超対称性探索においては、重要なバックグランドや検出器の理解を進め、発見に至る道のりの研究を系統的に行った。ヒッグス粒子探索に関しても、ベクターボゾン融合によるヒッグス粒子生成過程のうち、特にヒッグスがτ粒子対や光子対に崩壊するモードで、ヒッグス粒子発見能力を大きく向上させる研究を行った。これらの研究における日本グループの貢献は非常に高い評価を受けており、Readiness Reportの作成においても、これらの部分の編集責任を担っている。

4.2. 研究項目B「レプトン世代混合で見通す超対称性から超高エネルギーの世界」

MEG実験は、2004年度はプロトタイプによる液体キセノンガンマ線測定器の最終ビーム試験を実施して必要な性能を実証し、実機の建設を開始した。2005年度にはミュー粒子ビームラインが完成、ビームラインソレノイド電磁石と共に陽電子スペクトロメータ電磁石コブラの磁場測定を行った。さらに2006年度にかけて、液体キセノン測定器用光電子増倍管約1000本の低温性能試験を行った。並行して、各種実験モニターシステム、冷凍機システム、液体キセノン循環純化システムを開発・製作した。2006年度後半には、ビームラインを最終調整して毎秒108個に迫るミュー粒子を薄膜ターゲットに静止させ、ドリフトチェンバーとタイミングカウンターの一部をコブラ内に設置して、陽電子スペクトロメータの試験運転を実施した。2007年度早々には製作が遅れていた液体キセノン用断熱真空容器が完成し、現在測定器の組み立て作業を進めている。9月には全実験装置が完成し、試験運転後較正データを取得して、その後本格的なデータ収集に入る予定である。データ解析の準備も並行して進めている。

なお、液体キセノン測定器の開発研究に関しては高い評価を受けており、本領域研究者が2005年度文部科学大臣表彰科学技術賞、2006年度高エネルギー加速器科学研究奨励会小柴賞を受賞した。

一方理論研究では、超対称理論におけるフレーバーの破れについて、一般にレプトンセクターの方がクォークセクターより実験感度が高いことを示すなど、MEG実験の重要性を再確認した他、基礎となる理論模型構築や宇宙論的観点からの研究も精力的に進めた。

4.3. 研究項目C「力の統一と超対称性の理論的研究」

研究項目Cでは、超弦理論、新しいタイプの超対称の破れ機構に基づいた超対称模型の構築、余次元模型、リトルヒッグス模型等の幅広い研究が行われた。特徴的な取り組みとして、宇宙論、フレーバー物理、コライダー現象論の関連という視点からの研究が精力的に行われたことがあげられる。

		
		
		
		
		
		
		
		

5.研究領域の研究組織と各研究項目の連携状況

5.1.研究組織

(省略)

5.2. 各研究項目の連携状況

アトラス実験やMEG実験でのヒッグスや超対称性粒子などの発見を通して、新しい素粒子物理学への突破口を切り開き、実験、理論一丸となって、これを押しひろげ、統一理論やシーソー機構、超弦理論などの超高エネルギーでの物理を探り、21世紀の新しい素粒子物理学の方向性を決める。この為、研究組織としては「エネルギーフロンティアLHC実験」(研究項目A アトラス実験)、「レプトン世代混合で見通す超対称性から超高エネルギーの世界」(研究項目B MEG実験)、「力の統一と超対称性の理論研究」(研究項目C 理論研究)の3つの研究項目を立て特定領域研究を構成した。アトラス実験とMEG実験は超対称性の発見と研究を通して大統一理論への突破口を開くという共通の物理の研究目的を持ち、アトラス実験での超対称性の直接探索とMEGでの荷電レプトン世代混合を通しての超対称性の間接探索を同じスイスのCERNとPSIの現地で情報を共有して研究を展開している。アトラス実験・MEG実験は、理論研究と密な連携をとり、それぞれの実験で期待される物理を最大限に引き出すための実験的・理論的な方法を研究してきた。さらに、アトラスとMEG実験の開始後は、実験が切り拓いた新しい物理を、理論研究によって21世紀の素粒子物理学の方向を確立し、新たなパラダイムへと転換する。研究項目内の計画研究は上の表のように組織されている。

アトラスとMEG実験での研究をさらに大きく広げるため、関連する分野の実験、理論表面での研究を広く公募しこれを強力に推進してきた。将来の研究に繋がる本研究領域と関連する萌芽的な研究や、リニアコライダーなどの将来の先鋭的な加速器実験における実験を主体的に提案するための測定器開発などの研究、宇宙物理学への加速器実験測定器の応用なども公募研究には含まれている。

6.研究費の使用状況

6.1. アトラス実験(A01,A02,A03)

十数名の研究者の長期派遣と、多数の研究者が重要な局面でCERNに短期の滞在を行った。これらの研究者は測定器建設に従事するとともに、物理解析の準備作業を主導的に推進している。日本の研究者の活躍がアトラス実験内部で高く評価されている背景には、現地CERNで、直接目に見える形で建設や準備研究に従事しているからであり、本領域の研究費が重要な役割を果たしている。下表にあるように経費の約8割を旅費として使用している。

アトラスの様な国際共同実験において、若い研究者が研究に従事することは、国際的視野に立った研究者を育成するという観点から極めて重要である。将来有為な若手研究者を本領域の研究費で採用している。またデータ解析に用いられる巨大計算機システムの構築と運用には専門の研究支援サービスの外注が必要でありその費用にも用いられている。アトラス実験では測定器建設及びデータ解析用計算機システムの購入などは別経費でまかなっている。

6.2. MEG実験関係(B01)  

主に液体キセノンガンマ線測定器関連の物品購入に多く使用した。他には、海外での実験のため海外旅費にかなり使用している。物品のうち主要なものは、キセノン検出器のシンチレーション光読み出しに使用する光電子増倍管(R9869)と、キセノン用冷凍機やキセノン貯蔵容器、フィードスルー付真空フランジ、キセノン循環システムなどの低温および真空機器である。これらの多くはMEG実験用に特別に開発したものである。また、データ解析用に計算機システムの購入も行った。今後実験の開始に向けて、実験の運転・維持経費に加えて、現地に長期滞在して実験研究に従事するため、研究費の大半を海外旅費に使用する予定である。

6.3. 理論関係(A04,B02,C01,C02,C03,C04)

理論系計画研究班の研究費の使用状況の特徴としては、一つには有能な若手研究者を研究員として雇用し研究を促進することがなされている。現在まで理論系計画研究班でのべ十数名が雇用されている。経費の半分近くが謝金として使用されている。また、長期滞在型研究会を開催し研究者の活発な議論を引き起こすなど特徴的な活動も行われている。

7.研究成果公表の状況

(要約)

8.総括班評価者による評価の状況

総括班評価者には年に一度、各計画研究からの報告書に基づいて計画研究班の進捗状況を説明し、それに対する評価を受けている。以下その評価をまとめる。

LHC実験進捗状況について

①. 加速器の事故で実験開始が2008年にずれ込んだが、検出器の組み立ては順調に進み、現在コミッショニングが始まっている。前後方ミューオントリガーチェンバー、半導体飛跡検出器、超伝導ソレノイド電磁石などに日本の大きな貢献が評価された。今後のコミッショニングや実際のデータ収集などにも、ますます日本の貢献が期待されている。

②. 物理解析の準備においても超対称性研究はじめ、日本が主体となっている研究が数多くみられ、実験全体の中で高い評価を受けている。

③. 実験開始に向けて、検出器を運用し、物理の成果を出す為に研究者派遣の重要性はいよいよ高まる。旅費の深刻な不足がみられる。

MEG実験進捗状況について

①. 実験の鍵となるキセノンカロリメータについては、光電子増倍管や冷凍機、循環純化システム、較正用システムなど、日本の担当する部分は試験も含め予定通り完成したが、イタリアの担当する真空断熱容器の製作が遅れたため、実験スケジュール全体が大きく遅れている。その後日本からの技術協力もあって真空断熱容器は春に完成し、本年秋からの運転開始が可能となっている。

②. タイミングカウンターやドリフトチェンバーについては、現在コブラ超電導電磁石への設置作業が進んでおり、平成19年度中の本実験開始が期待されている。並行して、検出器キャリブレーションや事象再構成、バックグラウンド同定などデータ解析の準備も順調に進行している.

③. これから実験の本格的開始に向けて、日本の研究者、特に若手研究者が現地に滞在して実験研究に集中出来るよう、旅費の更なる充実が必要である。

理論研究の進捗状況について

計画研究では、超弦理論、超対称模型などの標準模型を超える素粒子模型の構築とその現象論的研究、フレーバー物理、宇宙論との関連など広い分野の研究が展開されている。特に、超対称模型に対する宇宙論からの制限、標準模型を超える模型における暗黒物質の候補の現象論、クォークおよびレプトンセクターのフレーバー物理による新しい物理の探索等のテーマについて精力的に研究が行われている。これらの研究はLHC実験によって解明が始まるTeVスケールの物理と深く関連しており、またLHC実験に対する新しい提案も含まれている。研究成果は多数の論文で発表されている。理論関係の計画研究のうち5つの班でポストドクトラルフェローを採用しているが、研究の推進に特に有効に機能している。また海外から理論研究者を招いて共同研究や研究会の開催を行っているが、このことは広く国内の素粒子理論コミュニティーにとって有用である。総合すると、理論研究は、活発な研究により多くの研究成果をあげており、本特定領域の研究の推進に重要な役割を果しているといえる。

9.研究領域の研究を推進する上での問題点と対応策

LHC実験開始の遅延:

四重極磁石の事故:本年3月27日に、KEKとFermilab が共同で製作しLHC地下トンネルに据え付けられたビーム収束用の4重極マグネットの安全性確認のための高圧力テスト中に破損事故が発生した。この圧力テストで、KEK 製マグネットを支持するサポートが破損してマグネットが動き、マグネット間をつなぐパイプや超伝導線が破壊された。原因はマグネット本体を支持するサポートが弱く、圧力テスト中に生ずる非対称な力に耐えられなかったため、サポートが破損しマグネットが動いたものである。この問題の部分の設計および製作の責任はFermilab が負っている。

四重極磁石の事故等の理由により、平成19年度実験開始予定の計画が約1年遅れ、本格的な物理実験が開始されるのは平成20年秋以降の予定となった。この遅延の為、本領域研究が終了する平成21年度中に期待されるデータ量(積算ルミノシティー)は、数fb-1となり、当初の予定の10-30fb-1より少なくなる。このデータ量では、

  1. ヒッグスの質量が140GeV以下の場合は、4σ程度の十分な兆候を捕らえることは可能であるが、予定していた5σの有意さには達しない。(140GeVより重い場合は5σの有意さで発見は可能である。)
  2. 超対称性粒子の発見能力は、その質量が約1.5TeV以下の場合に5σの発見が可能である。これは、“自然さ”からの要請や暗黒物質を説明する質量領域を十分カバーものであるが、当初の予定の2TeVよりは低い。

これらのルミノシティー不足を補うために、検出器の理解とバックグラウンドの理解を更にすすめ、より高感度での研究を行う。具体的には、実験初期(ルミノシティーが低い)に多数観測されることが期待されているミニマムバイアスと呼ばれる陽子同士のソフト反応や、ジェット事象などを用いて校正や検出器の性能を理解する方法を開発する。超対称性発見で鍵を握る横方向消失エネルギーの測定精度を高める方法の開発や、バッググラウンド評価に起因する系統誤差を抑え、解析の感度を高める研究をすすめている。

また、平成20年からの実験をスムーズに立ち上げる為に、宇宙線を用いた検出器のコミッショニングを組織的に行い、安定で信頼のおける運転が実験開始当初から得られる様努める。これらの努力により、平成20年秋以降の実データを用いた物理解析が迅速かつ実り豊かなものとなる。

実験開始後、およそ3〜4年程度で約30fb-1のデータ量が期待されている。これは、ヒッグス粒子や超対称性粒子を発見し、その性質を簡単に見極めることが出来るデータ量である。実験開始が約1年遅れることになり、平成21年度にこのデータ量に到達することは不可能となった。しかし、これらの研究は続けて行うことが是非とも必要であり、我々は研究の継続を強く望んでいる。またその後数年で、最終的に約300fb-1のデータを観測する予定である。この圧倒的なデータを用いてヒッグス粒子や超対称性粒子の性質を精密に測定することが可能であり、本領域の設定していた目的を凌いで、より詳しい研究が可能となる。平成22年度以降も研究を継続することを強く望んでいる。

10.今後の研究領域の推進方策

平成19,20年より、MEG、アトラス実験が順次開始され、レプトンフレーバーの破れ、ヒッグス粒子や超対称性粒子の発見といった重要な成果が得られる段階に進んでいくことが期待されている。これらの発見自体が自然科学史上極めて重要なものであることは言うまでもない。この成果を確実なものとする為、実験の計画研究班は、実験が行われる現地に長期滞在し実験を主導的に行っていく。

これらの重要な実験成果が、理論研究の方向性に強く反映され、またそこで得られた新しい知見が物理解析を進めていく上で重要な指針となる。この様に、実験系計画研究と理論系計画研究並びに公募研究のより緊密な共同研究が重要となり、ここで初めて領域としての本領が発揮されてくる。

本領域研究の主要な目的は、

(1)ヒッグス粒子の発見を通して、「質量の起源」を探る。またその起源を理解することで、真空の構造や宇宙がどの様な進化をたどって来たかの理解を進める。

(2)超対称性粒子の発見を通して時空の構造、宇宙の暗黒物質を解明し、レプトンフレーバーの破れと超対称性の発見から、大統一(GUT)の物理を探る。

以上の2点である。それぞれの課題を深く掘り下げていく為に、計画研究・実験/理論の垣根を超えて、研究会を行う計画である。例えば、超対称性粒子を例にとると、

(a)アトラス実験で観測された超対称性事象から、超対称性の性質をどの様に探るのか?

(b)こうして得られた超対称性に関する知見と、MEG実験で得られたレプトンフレーバーに関する情報からどの様なGUTに関する知見が得られるか?

(c) GUTに関する知見から宇宙の初期状態に関して何を知ることが出来るか?インフレーションとの整合的な理解が可能か?

(d) 暗黒物質の理解が宇宙の進化の解明へとつながっていくか?

(e)このような研究からどの様な時空の構造やストリングモデルが望ましいかの知見が得られるか?

(f) GUTより更に大きな統一、重力まで統一する超統一に関する知見が得られるか?

(g)超対称性粒子の効果が他の実験でどのような効果として観測され、それによって新しい情報が得られる可能性があるか?

などの超対称性粒子発見でもたらされる多くの波及効果まで考慮にいれ、超対称性を深く掘り下げていく。これらの成果はアトラス実験での超対称性の性質を探る研究に活かされるのみならず、どの様な新しい実験が必要になるかを示唆するものである。これらの研究会は、計画研究・公募研究に限らず、広く国内外の研究者を招いて行う予定であり、本領域研究の課題である「21世紀の素粒子物理学」の方向を決める重要な研究会となる。またこれらの成果をWEBや、学会での特別講演を通して、積極的に公表するようにする。

アトラス実験もMEG実験も、これらの発見や領域研究終了後も、不断の研究が必要である。この継続的な研究により、「新粒子・新現象の発見から新原理の発見」へと更なる飛躍を遂げることが出来る。この飛躍の土台となる方向性を決める様この領域を推進していくと同時に、継続的な研究が遂行できる環境整備に努める。


本ページに関する問い合わせ先:東大素粒子センター・坂本 宏sakamoto@icepp.s.u-tokyo.ac.jp

2007年9月14日更新